1944年10月18日、捷一号作戦により栗田艦隊とともにリンガ泊地から出撃。途中のブルネイで、レイテ島への兵員輸送に従事するため鬼怒、重巡洋艦青葉、駆逐艦浦波からなる第16戦隊は栗田艦隊と別れてマニラへ向かった。しかしその途中の10月23日に青葉がアメリカ軍の潜水艦ブリームの雷撃により損傷し、鬼怒は航行不能となった青葉を曳航して同日中にマニラに着いた。鬼怒が参加する輸送作戦はミンダナオ島カガヤンからの歩兵第41連隊の輸送であり、鬼怒と浦波の他輸送艦5隻が参加した。鬼怒と浦波は10月24日6時30分にマニラを出発したが、7時から10時にかけてアメリカ空母搭載機による3次に渡る空襲を受けて鬼怒では死傷者47名を出した。翌日にはB24爆撃機による空襲があったが鬼怒に損害は無かった。鬼怒と浦波は3時間遅れの25日16時にカガヤンに到着し、兵員を乗せると17時30分に出港した。鬼怒は340名を乗せていた。輸送艦は鬼怒と浦波の到着前にすでにオルモックへ向けて出港していた。鬼怒と浦波はボホール島の西側を通る迂回航路を取って10月26日4時にレイテ島オルモックに着き兵員を下ろした。鬼怒と浦波は5時にオルモックを離れてマニラへ向かい、続いて輸送艦も出港し内3隻は鬼怒と浦波に続航した。同日10時15分、パナイ島とマスバテ島の間に達したころからアメリカ第7艦隊の護衛空母搭載機による攻撃を受けまず浦波が沈没、鬼怒も14時過ぎには航行不能となり17時30分ごろに沈没した。後続の輸送艦が2隻の生存者を救助し、輸送艦第9号が鬼怒乗組員129名、輸送艦第10号が第16戦隊司令官左近允尚正中将以下350名以上を救助した。もう1隻、輸送艦第6号も生存者を救助したと思われるが記録がない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/鬼怒_(軽巡洋艦)

改二が来てない5500t級軽巡の球磨・多摩・長良・名取は潜水艦の雷撃で沈んでて、由良は航空機の攻撃が原因ではあるけど輸送作戦ではないからお鬼怒で確定だね

鬼怒の戦没した日が10月26日だからその日に実装かなー
秋刀魚祭も同日に開催で2週間後の終了と同時に間髪入れずにイベントが始まる感じか…?